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執筆者の写真家頭 恵

『セクシー田中さん』脚本トラブルについてー弁護士が法的観点より考察ー


 昨年10月〜12月に放送されていたドラマ「セクシー田中さん」(日本テレビ系)の脚本をめぐるトラブル問題が、インターネット上を騒がせています。現在では、漫画家や脚本家の方たちからの「原作に対する愛情・尊重を重視した記事」が多く公開されています。


 今回は弁護士として、本件に関して、いま公開されている情報に基づいて法の観点から発信したいと思いますが、この記事は私の推察によって成り立っています。この記事に誤りがあっても、個人への誹謗中傷はご遠慮ください。


 ことの経緯は、ドラマ最終回後に脚本家がInstagramで脚本制作に関する投稿を発信し、その1ヶ月後に原作者からX(旧: Twitter)で長文の経緯説明の投稿があった(投稿は数日後に削除されている)。それを機にインターネット上で脚本家や制作サイドへ対する批判騒動と発展し、先月末には原作者で漫画家の芦原妃名子氏が遺書をのこして亡くなっているのが発見された、というものです。これは原作連載中のできごとで、多くのファンや関係者から悲しみの声が広がっています。

 本件については、芦原氏(原作者)・小学館(原作出版社)・日本テレビ(ドラマ制作テレビ局)がどういう契約関係であったのか明らかになっていません(2/7現在、日本テレビ・小学館それぞれからも経緯説明は発表されていません)。


 私たちの感覚から考えれば、芦原氏は漫画作品を掲載・出版するにあたり小学館に著作権全てを譲渡する契約をし、小学館に日本テレビにドラマ化の許諾(翻案の許可)を与えたという関係と思われ、芦原氏と日本テレビは直接の契約関係は無かったと思われます。しかし、ここはまだ明らかではないですね。


 今回の日本テレビにおける脚本・原作の改変は、芦原氏がもつであろう「同一性保持権※を侵害していないのか?」という単純な疑問や、脚本について「原作者が承諾していないのに、あるいは不本意な脚本で放送できるの?」という疑問を調べていたら、ある裁判例がありました。この裁判例をもとに、業界の慣習を含め、本件について当てはめてみます。


※1「同一性保持権」

著作者が生み出した作品(出版物、楽曲、建築物、プログラムほか)について、勝手に改変されない権利のことです(著作権法20条)。ただし、場合によって例外もあります。

 これは辻村深月氏の小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』(講談社)をNHKがドラマ化することになったが、講談社が許諾を撤回し、それに対してNHKが損害賠償請求を行った事案です(平成27年4月28日東京地裁判決)。以下に紹介します。


①NHKは講談社に対し、上記小説をドラマ化する許可を求め企画書を送付した。

②講談社と辻村氏(原作者)は「著作権管理委託契約」を締結した(ここは本件と違う?)。

③講談社はNHKに対し「ドラマ化許諾」の旨を伝え、NHKは脚本制作を進めた。

④講談社はNHKに対し「契約書」を送付した。このなかには「脚本については講談社の承認が必要であること」が記載されていた。しかしNHKは、この契約書を返送しなかった。

⑤第1話の準備稿(脚本)に対し辻村氏が意見を述べたが、NHKは脚色の意図などを記載した書面で回答した。

⑥クランクイン予定日2週間前に全話準備稿(脚本)を読んだ辻村氏は、脚本に難色を示しコメントを付けて返送した。複数回の打合せが行われたが、NHKにおいても改変部分にこだわりを見せており、合意に至らなかった。

⑦その結果、講談社はNHKに対して映像化の企画を白紙に戻すことを通告した。

⑨NHKは講談社を相手に、許諾を撤回したことに対する損害賠償を請求して訴訟提起した。


 この裁判での争点はいくつかありますが、小説作品自体のネタバレを含んでしまうので割愛します。結論として、裁判所はNHKの請求を棄却しました。そのなかで、このように述べています。以下、判決の引用です。



 原作者はその著作物についてその意に反して改変を受けないものとする同一性保持権(著作権法20条1項)を有するのであるから,原作者であるq3(注:辻村)から著作権の管理委託を受けた被告としては,原告に対し,q3の同一性保持権を踏まえ,その意向を尊重した対応を行うことが許容され,その反面,原告は,原則として,本件小説にq3の意向に反するような改変を加えた脚本を制作することは許されないものというべきであって,上記の原告の期待はその限度でのみ法的保護を受けるものと解すべきである。したがって,前記のとおり,原告が被告との間で脚本の修正を要請される合理的な事由がない限り脚本の承認を得て映像制作を開始することができるとの期待を有するとはいっても,ここにいう「合理的な事由」には,原則として,q3が当該脚本による映像化を認めないとする意向を有していることが含まれるのは当然であって,q3が承認することができるような脚本を制作することは,基本的に原告側の責務であるというべきである。


 もっとも,映像作品は,文芸作品と比較して,視覚や聴覚に訴えるような場面では強みを発揮する一方で,読者が時に読み返しながらじっくり考えることが求められるような複雑なストーリーには向かない面があり,文芸作品を映像化する際には,このような映像作品の特徴に即した脚色をすることが不可欠となるのであって,こうした脚色なくして優れた映像作品は生まれないということができる。このような点をも考慮するならば,文芸作品を映像化するに際し,例えば,原作者が合理性に欠けるような些細な点にこだわっており,このような原作者の意向を尊重したのでは映像作品としておよそ成り立たなくなるような例外的な場合には,同一性保持権の濫用となり得るものである。そうすると,本件においても,q3が本件映像作品の脚本を承認しないことが同一性保持権の濫用と認められるような場合には,被告が原告の提出した脚本を承認しないことは,合理的な事由によらない承諾の拒絶として原告の上記期待を不当に損なうものといわざるを得ない。

 また,被告は,q3から著作権の管理委託を受けて,原告との交渉の主体となったことにより,原告との関係で,脚本に関するq3の意向を原告に正確に伝え,原告の脚本の意図をq3に正確に伝えることにより,q3と原告との意思疎通の円滑を図るとともに,誠実に交渉をすべき信義則上の注意義務を負うものであり,原告の制作した脚本がq3の意向に沿わないものである場合であっても,それが主として被告において意思疎通の円滑を図ったり誠実に交渉したりするのを怠ったことに起因するときは,被告は直ちに脚本を承認する義務を負うことになるわけではないものの,原告の上記脚本の承認と映像作品の制作開始に対する期待を不当に損なうものということができる。

 そして,以上のように原告の期待を不当に損なうような場合には,被告は,原告に対し,不法行為に基づく損害賠償責任を負うものと解するのが相当である。


 この裁判例の事実経過によれば、この業界では脚本承諾条項は入れずに口頭契約で見切り発車、放送後に契約書を作成することが「常態化」しているようで、我々の常識からかけ離れていることがわかります。しかし、この裁判例を素直に読めば、仮に脚本の承諾条項が無かった場合でも、「同一性保持権」については尊重され、意に反する脚色は許されないように読めます。 

 芦原さんの件では、これまでの報道を見る限りでは、ドラマ化の契約に際して、脚本の承諾条項があったかどうかというのが定かではありませんが、上記の裁判例からすると、承諾条項が無くとも、同一性保持権の観点から原則として承諾が必要、ということになりえます。 

 この裁判例を本件にあてはめると、日本テレビは芦原氏の意図に反する脚本を制作してはならないことがわかります。ただこれは原則であり、もし例外的に芦原氏が合理性に欠けるような些細な点にこだわったか、小学館側が意思疎通の伝達ミスにより脚本の承認ができなかった場合には、民事上違法と評価されることとなります。

 また本件と対照的であるのは、出版社(講談社)が一貫して原作者を守っている感が強く出ていることです。現時点の報道を見る限りでは、本件での小学館の対応にこのような態度が見えてきません。

 芦原氏が日本テレビや小学館に対してどのような要望を主張したのかは定かではないのですが、ストーリーや登場キャラクターの人格・設定を改変してほしくない、ということを述べているのではないかと思います。『セクシー田中さん』のストーリーを見る限り、そこまで原作者が無理な主張をしているとは思われません。


 そうすれば、過去の裁判例からも判断できるとおり、日本テレビにおいて原作者の許諾を得るための努力不足があった、と評価されても仕方ないでしょう。


 もう1つ気になるのは、本件では日本テレビも小学館も脚本家も芦原氏もこの「同一性保持権」についての主張を全くしていないように見えるところです。


 あくまで推測ですが、この点を踏まえると「著作者人格権の不行使の契約※2」も芦原氏と小学館の契約に入っているかもしれません。この点については、全く報道されていないですね。※3


※2「著作者人格権の不行使の契約」

著作者から著作者人格権(公表権・氏名表示権・同一性保持権)の行使によるトラブルを避けるため、契約時に予め、著作物利用者に対して「著作者人格権に行使しないことの合意」を得ることです。


※3 本記事記載後に小学館編集部より声明発表があり、同一性保持権を含む著作者人格権に言及がありましたが、具体的に小学館と芦原氏がどういう契約をしていたか、ということについては記載はありませんでした。


 結論としては、上記のように素直に裁判例をあてはめれば法的に責任を負うのは日本テレビ側、ということになりそうです。

 しかしここは「法律」の難しいところで、上記の辻村氏の判決は結局映像化などはされず、NHKがその損害を講談社に請求した事案です。本件はすでに映像化されていることから、芦原氏が著作者人格権に基づいて差し止めや損害賠償請求を行っていたらどうなったんだ、というのはまた別の議論が必要になってくる事例になるかと思います。

 また、本件におけるドラマ化の許諾、脚本の承諾条項等は内容は文書になっているのか、口頭なのか、それともメールやLINEなどの合意なのか等も明らかになっていないので、この記事はあくまで私の推察に過ぎないことを念のため申し添えます。


 当事務所でも「著作権についてご相談を承っています」と言いたいところですが、実は著作権の取り扱いはなかなか難しく、ご相談いただいてお力になれるかどうかは、ご相談内容次第といったところです。ただ千葉県で著作権を扱っている事務所は少ないかと思いますので、もしお近くの方がいましたら一度ご相談ください。




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