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  • 執筆者の写真家頭 恵

水球日本選手権女子決勝(2021)「幻の決勝ゴール問題」について

更新日:2023年4月2日

今回は、僕の趣味である水球に関する話を書きます。題材は、ニュースにもなっている公益財団法人日本水泳連盟(以下、日水連)と秀明大学との争いです。


 まずはこちらのYouTube動画(1:20:40頃〜)をご覧ください。水球日本選手権決勝のタイムアウト後、ラスト10秒で黒帽子(日本体育大学)の攻撃です。優勝がかかった大事なシーンです。



 水球を知らない方でも一瞬で熱くなる白帽子(秀明大学)の優勝シーンでしたが、その後1年以上も議論されることになるとは、誰も予想していなかったことでしょう。

 事件の経緯については、下記のとおりです。詳細な事実認定は、仲裁機構のホームページに記載されているので、気になる方は下のリンクを参考にしてください。


① 2021年10月31日

第97回 日本選手権水泳競技大会<水球競技> 女子の決勝


秀明大学水球クラブ(以下、秀明大) vs

NSSU(日本体育大学) Water Polo Club(以下、日体大)


秀明大がラスト1秒で放ったシュートでゴール(いわゆるブザービーター)。1点差で勝利。


② 2021年10月31日

負けた日体大の監督がデレゲート(試合統括担当)へ「ラスト9秒の時点で時計が止まっていた」と抗議。デレゲートは「時計が止まっていた時間は日体大の攻撃中の時間であったこと」を理由に、抗議を却下した。


③ 2021年10月31日

監督が日水連の控訴陪審に上訴。控訴陪審は、YouTube動画で時計が止まっていたことを確認。その結果、決勝ゴールを取消、秀明大と日体大の同時優勝と決定。(試合終了1時間40分後)

なお、この決定があった際には表彰式は終了して、秀明大の選手も監督も帰宅していた。


④ 2021年11月5日

秀明大が③の決定に不服申立。


⑤ 2021年11月16日

日水連は審理をせず「控訴陪審の決定は最終だから何があっても絶対覆らない」として、秀明大の不服申立て却下決定をする。


⑥ 2021年12月8日

それを受けて秀明大が公益財団法人日本スポーツ仲裁機構(以下、仲裁機構)に仲裁判断を申立。


⑦ 2023年1月20日

仲裁機構はこの申立のうち⑤の日水連の却下を取り消し、再度の審理を要請(これは「実質審理をしろ」との要請です)。


 ここでいう実質審理とは「本当に時計は止まっていたのか?判断にYouTubeを根拠にしてよかったか?デレゲートの代理はOKなのか?30分以内に抗議はあったのか?等についてきちんと議論をして結論を出せ」の意味です(ココ重要!!)。

 

 下記リンクは仲裁機構の決定文です。


⑧ 2023年2月20日

日水連は⑦で要請された実質審理を一切せず、仲裁機構の悪口だけを書き散らし秀明大の訴えをまたしても却下 ←イマココ



 さて、この記事を読む上での共通認識が必要です。そもそもこのトラブルの前提として、日水連には、試合後に規則解釈により試合結果をひっくり返せる制度があるということを理解してください。正直これ自体とんでもない制度だとは思いますが、それは議論の前提になっています。これはサッカーやラグビー、柔道の規定にはなく、バスケットボールにはあるとのこと(日水連の主張)です。

 日水連の仲裁機構の審理における主張は、次のとおりです。


「控訴陪審が同時優勝と決定した。規則に控訴陪審の決定が最終と書いてある以上、最終であり手続きに瑕疵、違法、規則違反、何があってもひっくり返らない。規則に書いていないことは、規則に書いてないのだから、全て水泳連盟の裁量で自由に決定できる。規則に書いてあっても、その規則の実現が事実上不可能なら、規則に書いてないことも控訴陪審は決定できる。規則に書いてない控訴陪審の決定も、最終と規則にあるから絶対覆らない」


 規則に無いこともなんでも自由に決定できて、その決定は「最終である」という規則があるので絶対に覆せないという主張です。


 特に最後の「規則の実現が事実上不可能なら、規則に書いてないことも控訴陪審は決定できる」という部分はすごいですね。


 もし試合当時に秀明大の得点取消となっていたならば、同点でペナルティスロー合戦になるはずです。しかし試合終了から判定までに1時間40分が経過していたので、それはせず同時優勝としています。


 なお、日水連は手続きの瑕疵※について一切言い訳をしていません。なぜなら、手続の瑕疵があったとしても、控訴陪審の決定は最終だからそれも含めて覆らない、という趣旨の主張だからだと思われます。


 ※瑕疵(かし):法律用語。法律または当事者の予想する完全性が欠けていること。

 これに対して仲裁機構は、法の一般原則からして日水連の主張は許されない旨を詳細に述べています。具体的にはつらつら書いていて一見わかりにくいですが、私がみたところ「手続きの適正確保」「法の支配」に違反しているのではないか、と述べています。


 日水連の規則は手続きの不備がたくさんあり、恐らく仲裁機構も書き足りないくらいで、正直私も書き足りません。ですが一応、わかりやすく書いてみたいと思います。


 ①試合結果を事後的にひっくり返す規定の適用のための手続きについて、デレゲート(試合の統括担当者)への抗議手続きについては記載があるが、控訴陪審への手続きが何も決まっていない。重大な不利益を与えるような手続きであるのに、あまりに規則が杜撰である。


 ②日水連の規定はチームへの処分もありえる規定であるが、その処分内容は全く記載されていない。


 ③デレゲートは他の試合の審判をするという理由で、代理となる人物・F(実行委員長)に日体大からの抗議手続きを任せている。しかし代理を認めた規定は無い。その上、デレゲートの言っている却下の理由と、Fの述べている却下の理由が異なる。デレゲートの行動は、試合を統括するという規則に全く相容れないもので、無責任である。


 ④重大な不利益を受ける可能性のある一方当事者(この場合、秀明大)を手続きに全く参加させていない。この点も規則が杜撰すぎる。


 ⑤結論の根拠に、第三者の撮影した動画を用いている。例えば、サッカーのVAR※の規則では、どの画像・映像を利用できるかについて等、細かな規定がある場合が多い。しかしこの場合は、何の議論も無く第三者映像を利用している。  ※VAR:ビデオ・アシスタント・レフェリーの略。主審が下した判定を、ビデオ映像と通信用ヘッドセットを用いて確認(ビデオ判定)するサッカーの試合審判員のこと、またはシステムの呼称。これは、試合結果に大きな影響を与える人的ミスを最小限に抑えるためのものである。

 ⑥もともと規則に存在しない「同時優勝」という結論を導いているが、この根拠が無い。

 

 ざっとこんなところです。この日水連の規定を「いい加減で適当なものであり不備があると断定し、これまでトラブルが無かったのはたまたま」とまで記載しています。

 さらにダメ押しで、試合結果変更の根拠である「機材の不具合があった」と認定した控訴陪審の決定についても「ただの押し忘れ」として真向から否定しています。


 それを踏まえた上で、もう一度、日水連において実質的審理をしてほしいとの判断です。実質審理とは、上記の①~⑥やそのほかの問題について検討した上で結論を出してほしい、ということです。

 以上を踏まえて、みなさんにお聞きたいのは、日水連と仲裁機構のどちらを支持したいか、ということです。法律家としての私の意見は当然、仲裁機構の判断を支持したいです。


 「法の一般原則」「スポーツの常識」に照らして考えると、日水連のやっていることは無茶苦茶です。私の友人の一人は、仲裁機構の決定の妥当性について「2秒でわかること」と表現しました。私も強くそう思います。


 以下、日水連への批判と、その論拠の解説です。一応弁護士っぽく、法律的な感じで書きました。


(1)規則に対する自由すぎる解釈

 日水連は、規定が無い部分は全て裁量である。規定の解釈は、結論に都合の良い部分は限定解釈として例外を認め、都合の悪い部分は拡張解釈して主張を押し通そうとしている。


 具体的には、以下の4点です。


 ①デレゲートの代理を認めていることは、規定が無いからと裁量でOKとしている。


 ②第4ピリオド終了時に同点であればペナルティスロー合戦という規定は「第4ピリオド終了直後」という意味であり、試合終了から1時間40分経過している状態では適用されないという恣意的な「限定解釈」である。


 ③「2チーム同時優勝」というのは規定に無いが、規定に無い状態になったので、規定に無い以上なんでも勝手に決めてよいという「無限の裁量」となっている。


 ④(そしてなによりとんでもないのは)控訴陪審団規定に無いことを決めたにもかかわず「決めたことは最終とするという規定がある」という主張。控訴陪審団は、規則に縛られず、なんでも決定できることになる。

 

 規則というものをねじ曲げ、いいとこどりをしており反省する態度が全く見えません。規則や法律は、解釈に安定性があるからこそ信頼されるのであり、日水連のような恣意的な解釈を許せば、法律や規則への信頼は存在しなくなってしまいますし、法を作る意味が無いですよね。これは先に書いた「法の支配」という一般原則に反する行為です。


(2)手続きの適性の確保ができてない

 手続きの適正とは、きちんと手続きを踏んで結論を出すということです。本件で無視された重要なものとは、不利益処分を受ける者の「告知・聴聞の機会」です。これは、不利益処分を与える際には、その不利益を受ける者の意見や言い分を聞かなくてはならないということです。紀元前の中国の裁判ですら、それは当然のように行われています。マリー・アントワネットやルイ16世も、死刑が決まっていましたが裁判は開かれました。

 本件で重い不利益を課された秀明大は、この機会を全く与えられませんでした。日水連における手続きの保証は、絶対王政の時代以下であり、現代の組織にあるまじきことです。


(3)控訴陪審の不思議な決定

 この件で日水連の控訴陪審は、規則を無視した不思議な決定をしています。最初の日体大の抗議はデレゲートが却下していますが、この却下の理由は、ラスト9秒で時計が遅延したとしても、それは日体大がボールを保持して攻撃してる時間の遅延であって、むしろ日体大が有利になるからです。このことは規則に書いてあるようです。


 結果として奇跡的ゴールで日体大は失点しましたが、例え100万回同じシーンがあっても、再現はできないと思います。結果論として失点したから日体大は抗議していますが、もし攻撃時間が短くなっていたら不利になるのは100%日体大だったのです。それを日水連の控訴陪審は無視して、結果として、日体大に有利な判定を下しています。まさに「後出しじゃんけん」という例えがふさわしいでしょう。ぜひ「実質審理」をしてほしいものです。


(4)神の手ゴールの例えについて

 日水連は仲裁機構への批判として「仲裁機構の論理では、マラドーナの神の手ゴールが取り消されない制度は規則の欠缺※1」であると書いています。


 いやいやそんなことは無いですよね。「マラドーナの神の手ゴール」※2が取り消されないのは、取り消す規則が無いからか、あったとしてもその手続きがなされなかったからです。


 今回は、試合結果を一旦覆しているのは日水連の控訴陪審です。覆すことが可能な規則をわざわざ作っておきながら「覆すと結果の早期の確定という要請に反する」と主張しています。


 禁反言の原則※3、というのも法の一般原則です。日水連の主張は、自らの作成した規則と矛盾しています。


※1 欠缺(けんけつ):ある要件の欠けていること。民事法規で用いられた語。 ※2 マラドーナの神の手ゴール:神の手 (サッカー) - Wikipedia を参照。

※3 禁反言の原則:禁反言の法理 - Wikipedia を参照。


(5)まとめ

 日水連は、上記の試合結果を覆せるとんでもない規則につき、それを適用するための手続き関連の規則を整備していないにもかかわらず、規則に「最終」の文言があることから、その文言のみを根拠に控訴陪審の決定を維持しようとしています。


 言いたいことはわかりますが、それでは何のための規則なのでしょうか。これなら規則など一切いりません。もう「全て日水連の決定で決定する」という規則だけで良いのではないでしょうか。


 ①日水連は常に正しい

 ②日水連が間違っていると思ったら、①に戻れ ってやつですね。


 法の支配ではなく人の支配を是とするのであれば、これは時代錯誤というものです。

 

 以上まだまだありますが、これが私の日水連への批判です。これまでひどい組織はなかなかなく、こうした団体が日本代表選手の選考や試合の主催をしていると思うと正直なところ、水球という競技自体そういった競技と見られてしまうような気がします。

 最後に私が想像する仲裁機構のメッセージをお伝えしたいと思います。

 

 その前に、ミスジャッジについてのエピソードを紹介したいと思います。2010年、アメリカ大リーグにおいて起きた「完全試合未遂事件」です。

 

 デトロイトタイガースの先発ピッチャー・ガララーガ投手は9回2アウトまで完全試合を継続、27人目の打者を一塁ゴロに打ち取り、誰もが完全試合の達成を確信しました。しかし、ジャッジはセーフの判定。誤審により、完全試合は達成できませんでした。

 試合終了後、1塁塁審はビデオで自分の誤審を認め、ガララーガ投手に謝罪。ガララーガ投手は、「完璧な人間なんていない」と言って、塁審を許したそうです。



 本件では、仲裁機構は2秒でわかる結論について自ら判断を下さず、わざわざ一旦日水連に審理の差し戻しをしています。仲裁機構は差し戻しの判断とした形式的な理由としては、優勝チームを決めるようなことの仲裁合意が無いからとしています。


 しかし実際は、日水連が審理の上、秀明大に謝罪をしてほしかったのではないでしょうか。その上で、秀明大も日水連を許して秀明大と日体大の同時優勝という結末を受け入れてほしかったのではないでしょうか。


 完璧な人間なんていないように、完璧な組織もありません。どんな組織も人間が運営している以上、ミスや間違いはあります。間違いを謝罪し規則を改正し、お互いが許しあうことで、今後の水球競技の発展に期待していると思います。それが、ガララーガ投手の事件の教訓だと私は思います。


 しかし日水連はこの仲裁機構による配慮を無視し、仲裁機構を批判する内容の決定をしています。逆ギレにも見えるこの決定は、まるで日水連の器の小ささを表しているようです。


 これから、この件はまた仲裁機構に持ち込まれるか、あるいは裁判所への訴訟提起がありえるところです。今後の展開に、水球関係者は注目するとともに、審判やデレゲートの職務執行の適正を期待したいところです。








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